「小さな親切」運動 鹿児島県本部へようこそ
「小さな親切」運動とは
昭和38年3月、東京大学の卒業式において、当時の茅誠司総長が告辞の中で卒業生に贈った言葉がきっかけとなって、発足しました。以来、「できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように」をスローガンに運動を推進、「小さな親切」運動は日本中に広がりました。21世紀に入り、日本はもとより世界中が大きく変化しています。このような時代だからこそ、私たちは「小さな親切」運動を通して、思いやりあふれる、心のかよう社会づくりを目指したいと考えています。
「小さな親切」は、心の文化活動
今、日本の社会で求められているのは、人と人とのつながり(絆)です。人は、一人では生きていけません。周りの多くの人々、つまり社会との関わり合いで成り立っているのです。この人と人をつなぐのが「小さな親切」運動だと思います。
このことを深く考えてみますと、共生のための社会環境をつくる活動といえるかもしれません。高齢者も大人、子ども、それに障がいのある人も、一緒に暮らす共生社会を築き上げるため欠かせないのが「小さな親切」運動です。今こそ、「心の文化」活動として、注目されています。
このことを深く考えてみますと、共生のための社会環境をつくる活動といえるかもしれません。高齢者も大人、子ども、それに障がいのある人も、一緒に暮らす共生社会を築き上げるため欠かせないのが「小さな親切」運動です。今こそ、「心の文化」活動として、注目されています。
「いつでも、 だれでも、 どこでも」できるのが「小さな親切」
「小さな親切」って、いったいどんなこととよく聞かれます。「小さい」とは、親切の大きさではなく、席をゆずったり、障がいのある人の手を引いてあげたり、ちょっとした気持ちさえあれば、だれでも、どこでもできる親切行為のことです。早速、今日からでもやってみませんか。
私たちがやっていること
鹿児島県本部の発足は、昭和49年10月(1974年)でした。代表に寺園勝志氏(元知事)が就任し、行政職員を中心に県民運動に発展、川内・鹿屋・加世田・西之表・出水・財部と次々と支部が発足しました。その結果、親切実行章を受けた県民は31万人余りとなり心豊かな郷土づくりが進みました。さて、令和に入り、人々の意識の変化や、価値観の多様化が進むにつれて、以前のような盛り上がりも無くなってきていますが、児童生徒を対象とした、「小さな親切」作文コンクールは、令和6年度で第46回を迎えました。今年も多くのすばらしい「親切」を書いて、思いやりの心を育んでいます。
このように、発足からずっと切れ目なく活動を続けています。これからも県民の皆様のご協力をいただき、人づくりに取り組んでいきます。
このように、発足からずっと切れ目なく活動を続けています。これからも県民の皆様のご協力をいただき、人づくりに取り組んでいきます。
「小さな親切」八か条(茅誠司初代代表提唱)
- 朝夕のあいさつをかならずしましょう。
- はっきりした声で返事をしましょう。
- 他人からの親切を心からうけ入れ「ありがとう」といいましょう。
- 人から「ありがとう」といわれたら「どういたしまして」といいましょう。
- 紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。
- 電車やバスの中で、お年寄りや赤ちゃんをだいたおかあさんには席をゆずりましょう。
- 人が困っているのを見たら手つだってあげましょう。
- 他人のめいわくになることはやめましょう。
(この八か条は、日常生活の基本です。)